「笑っていいとも」の終焉

 笑っていいともが32年続いた幕を下ろしました。番組開始当初は結構熱心に見ていました。といって昼の番組ですから何時も見られるわけではないし、年末なんかの特番でテレフォンショッキングの流れを楽しんでいた程度の事です。

 でも司会者のタモリについては世に出て来た頃から目を離せず、「いいとも」もその内容よりはタモリを見ていたといったほうが正しいでしょう。タモリ、森田一義氏という存在を知ったのは多分「話の特集」という月刊誌であったろうと思います。

 1970年代に独特ななポジションを獲得し、80年代に入ってから急速に衰退していった伝説の雑誌で、梁山泊のように多士済々が寄り集まり、もうあんなごちゃ混ぜかつ豪華な顔ぶれの、奇跡のような言論空間は現れないのではないかと思えます。

 時代柄左に傾斜していましたが、そうでない人達も出入りしていました。そこで山下洋介あたりがタモリのことを書いたのを読んで興味を持ったのが始まりだったのではないかと、それから赤塚不二夫の食客となり変わった才能がいると徐々に評判になっていきました。

 どんな人なのか大いに興味が湧き、初めてその人を見たのは映画ででした。「九八とゲイブル」という井上ひさし原作の浅草芸能譚、池袋の映画館で念願の一人4カ国麻雀という芸を見ることができました。映画自体はよく覚えていなくて、併映が勝野洋の刑事物だった事の方をよく覚えています。

 この映画は78年の作品、やがて82年から「いいとも」が始まり次第に全国区に知られ始めていきます。この頃仕事で知り合ったイラストレーターの女性からタモリ絡みの面白い話を聞かされました。その女性の知人にまた変わった女性がおりまして、

 名前は忘れましたが一部では知られた人です。漫画の題材にも取り上げられて、それを描いたのは長谷川法世という漫画家、「博多っ子純情」という作品を描き当時売れっ子作家でした。確か漫画家の日常に題材をとった作品の中に件の女性が出てきます。

 ラーメンか何か出前に来て、そのまま法世宅に住みついてしまった女。結局余りにもハチャメチャで二人は別れますが、この女性とタモリが何故か岐阜の柳ヶ瀬を歩いていたそうです(法世とタモリは知り合い)。すると地元の厄介そうな人達と出会い揉めそうになりました。

 どうするかと思ったらその女性はやにわに着ていた服の前をはだけ、ナマのオッパイをさらけ出したんだそうです。意表を突かれた相手は言葉を失い、二人はその場を逃れたという話でした。出前に来てそのまま居着くというのも凄いけれど、ややこしいのを相手にそう出るというのも凄い話です。

 その話が強烈で且つタモリ絡みの話だったものですから大いに興味が湧き、あれこれ尋ねたら今度紹介すると言われこれは面白い話になったと思いましたが、風呂に何日も入らないとか強烈な個性の人でしたし、催促しなかったらそれで立ち消えとなりました。

 いいとも最終回特番は33%の視聴率だったとか、やはり国民的番組であったのでしょう。どうせ涙と感動の脚本が出来ているでしょうからと中身は見ず、最後のタモリの挨拶だけ30分ほど見ました。挨拶は、赤塚不二夫の弔辞が頭にあって何を言うのか聞きたかったのです。

 しかしごく普通に番組に対する協力に感謝するもので普通に終わりました。くさい話は嫌いなのでしょう。「ここで、さぁ泣いて」という仕込みが嫌なんだと思います。呆気にとられるほど淡々として幕を閉じました。それもタモリらしい話です。

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 この桜は歩く途中にある大手企業のフェンス沿いに植えられています。写真を撮っていたら「もうこの桜は今年で見納め」と言う声が聞こえます。同級生がここの警備部門に勤めていて声を掛けてきたのです。何でも市の都市計画に沿って入り口レイアウトを変えるからだそうです。

 立派な古木で毎年盛大に花を付け楽しませてくれましたから、勿体ないという気もしますが、年々歳々花は相変わらずでも人と世の中は移り変わっていきます。古木に変わり若い桜も植えられる事でしょう。タモリが去って代わりの新しい才能が台頭して・・・やがて往事茫々。
 

 
 

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