「アメリカンスクール」 「韓のくに紀行」

 入院時に持って行った文庫本は小島信夫の「アメリカンスクール」と司馬遼太郎の「街道を行く・韓のくに紀行」、たまたま本棚に在った2冊を拾って持って行ったのですが、著者はそれぞれ徴兵され敗戦後復員したという経験を持つ作家でした。

 小島信夫は中国東北部で従軍し位はポツダム伍長、一方司馬遼太郎は陸軍少尉、満州の戦車部隊の小隊長。この経歴はどちらにもその後の生き方や作品に影響を与えているのは読んで取れます。

 小島信夫の代表作、表題の「アメリカンスクール」は昭和29年に芥川賞受賞を得た作、他の掲載作品も戦後のまだ混とんとした時勢に生きる人達の姿を描いて、何とも重苦しく登場人物への感情移入がスンナリとは出来ません。

 昭和29年は私が岐阜市加納第二小学校へ入学した年、所々にお金持ちはいたけれどみんな等しく貧しく、大人たちは自分や一家の生活を確保するのに懸命で汲々して、そんな中にインテリ層は何を考えていたのか。複雑な感情を今の尺度で理解しようとするといささか無理もあります。


 「街道を行く」は1971年に週刊朝日で連載開始、以後25年も続いた大紀行文、その第2巻に「韓のくに紀行」1冊全部が韓国での歴史を巡る旅です。といっても旅は4日間にしか過ぎず訪れたのも釜山から百済の旧都扶余迄の南部のみ。

 初版が1978年、週刊朝日に連載時時々は目を通して程度の読者、こうして後になって、特にネットを経験してから読むと当時は気が付かなかった事なども見えて来ます。朝日は司馬遼太郎没後も長くこのシリーズを続けていました。

 いわば看板でもあり現在に至る朝日の偏向姿勢のバックボーンでもあるからでしょう。読み始めてすぐ司馬遼太郎の朝鮮に対する思い込みの深さに気が付かされます。この旅の目的を韓国側の女性にたずねられて司馬は、

 「・・私は日本人の先祖の国へ行くのだと・・」 という言葉がいきなり出て来ます。そして「私の尊敬する作家金達寿氏や鄭貴文氏(「日本における朝鮮文化」の編集長)」 「当時朝鮮は日本が無理矢理領土として抱き込んでいた」

 以降読み進めると、以前には感じていなかった朝鮮に対する認識がいちいちトゲの様に引っ掛かり随分と読み辛い読書になってしまいました。旅の案内の女性に対し、李朝最後の王妃である閔妃の一族であるらしく・・品の良さは良家の出に思えた等の例え。

 閔妃が気品のある李朝の王妃なんて、ネットを透かして見れば何処にもそんなイメージはありません。李舜臣という項があって、秀吉が朝鮮半島を侵攻した文禄・慶長の役の際、朝鮮水軍を率いて数度にわたり日本軍を撃破し戦局に重大な影響を与えたとあります。

 要するにべた褒めしていますが、このあたりも大いに違和感を持たざるを得ないところで、過大評価され過ぎに思えます。wikiで検索しても、数少ない朝鮮勇士という事で後世になって虚飾が重ねられていますが、実際の所は抗日のシンボルとして虚像が膨らんでいきます。

 この出兵で朝鮮に残った日本武士の沙也加の項、華夷秩序において日本は倭で、儒教を貴ぶ明、朝鮮からすれば下位の国。司馬遼太郎はこの倭人について、背は小さくはだかで、褌一本太刀を背負い肩ひじを張っている、というイメージだと書いています。

 比して儒教は形式的であっても礼教を重んじる、秩序原理で飼い慣らして人間になると、だから日本人は倭であり、ウエノム(倭奴)という軽蔑的呼ばれ方をすると書いています。なんという見方、捉え方、斯く最初から終わりまでこの調子です。

 これは80年代に入って興った謝罪しろ、賠償しろ行動の指針、若しくはバイブルたり得る1冊になりますね。朝鮮民族はこれを読めば高揚するでしょう。ウエノムと蔑みたくなるでしょう。ただしこれは司馬遼太郎の至って個人的感慨であり学術書ではありません。

 前から感じていた事ですが、多少の誇張があったとして、司馬遼太郎の史観は朝鮮半島勢に上手く利用されてしまった。勢い付かせてしまったのではないかと思えます。没後20年、しかしネット社会のお蔭で別の視点も参照出来、反論も現れています。

 例えば、「日本政府は朝鮮人に改姓をさせ無理矢理日本姓を名乗らせた。これほど民族的自尊心を無視したやり方は無い」と書いていますが、この言い掛かりをもう朝鮮側が出す事はありません。論破されてしまい言い出せないからです。

 強制連行も声が小さくなったし、残る慰安婦問題、そこにしがみつくしかないから最後の足掻きで嘘に塗れた像をあちこちにばら撒くしかなくなっています。日本政府は10億円の手切れ金を渡しあとは韓国政府がどう始末をつけるのか見物するだけです。

 長い目で見れば、やがて事実方面へ収斂して行きます。その過程を40年前に書かれたこの本を通じ確認しているのだとも云えます。しかし司馬遼太郎の日本卑下の原点は何処にあるのか、そう考えて一端には軍隊経験があるんではなかろうかと、

 学徒出陣で少尉に任官、戦車隊小隊長に任ぜられ、多分合わなかったのでしょう。軍隊は合理的な考えが通るとは限らない。戦場での非合理は経験値が指揮系統を機能させ生死を分けます。それを自覚すれば軍隊嫌いにもなるでしょう。

 戦後生き残ったインテリの軍隊嫌いは、大よそそんな背景もあるのではなかろうかと、小島信夫の屈折した心理描写も同様、その反動があったのだろうと思いながら読んでいました。
 
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 桜の葉が少し色づき始めています。もう長月9月、アッという間の葉月8月。

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