「北京の55日」 柴五郎中佐 伊丹十三

 百田尚樹の「日本国紀」は昭和の時代に入って極東裁判のあたりを読んでいます。古代、大和政権誕生から読み始めて全500頁のうち残りは80頁ほど、読みやすく編集、工夫されているので、興味を持って少しずつ読み進められます。

 その工夫の一つ、折々にコラムを設けその時代時代のトピック、エピソードを挿入、成る程と思ったり知らなかった事実に目を見張らされたりしながら読書は進んでいきます。日清戦争、義和団の乱あたりにもコラムがあって、読むと日本人としての誇りを感じます。

 この事については当ブログでも書こうと思っていたのですが、昨日の朝見たら「ぼやきくっくり」ブログさんでも同じく「日本国紀」を読書中、この義和団の事を取り上げていました。拝見して、まさに云いたかった事は全部書かれています。

 子供たちに教えたい柴五郎(付:「日本国紀」)  (ぼやきくっくり)

 
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 同じ事を書くのでは2番煎じになってしまいますが、素晴らしい話なのだから繰り返しあちこちで書かれ読まれるのは悪くはない。この話を知ったのは「ねずさんのひとりごと」ブログを読んでから、ブログ内検索したら以下のエントリーがありました。

 「義和団事件とコロネル・シバ」  (ねずさんのひとりごと)

 日本人にあまり知られていない話でもありますから、まず「ぼやきくっくり」ブログさん、「ねずさんのひとりごと」ブログさんを読んで貰い、(「ねずさん」のほうは義和団、柴中佐関連の記事が4つあります)、当ブログでも脱線して少し。

 最近は音楽のジャンルに「映画音楽」というのがあるのかどうかよく判りませんが、昔はポピュラーなヒット曲の中に映画音楽という分野がありました。良い映画と良い音楽、例えばデビット・リーンの「アラビアのロレンス」はモーリス・ジャールのメロディと不可分。

 イタリア映画にはニーノ・ロータの哀愁。フランス映画には先年亡くなったフランシス・レイ。ハリウッドには、一杯居るけれど、ヘンリー・マンシーニ、ディミトリ・ティオムキン、ビクター・ヤング等々。義和団事件の映画化「北京の55日」、これもティオムキンでした。

 これは戦争物だから勇壮なリズムを刻んでブラザーズ・フォアが歌い、日本のヒット・パレードでも上位にランクされヒットしました。歌詞の出だしが”The year was nineteen-hundredo”、1900年。一発で義和団事件の年号を覚えてしまいました。

 歌詞の中には日本も出てきます。フランス、イギリス、イタリア、ロシア、そして

 ”And the flag of the Japanese” 

 映画が公開されたのは1963年、東京オリンピックの前の年ですね。主演はチャールトン・ヘストン、ヒロインにエヴァ・ガードナー、英国公使役にデビッド・ニーブン。加えて日本軍人柴中佐役に伊丹十三。当時は一三と云ったました。

 当時高校生で学校の行き帰りに映画館街でもあった柳ヶ瀬を通るものですから、バスを途中下車してこの映画を見ています。伊丹十三の柴中佐、髭をたくわえた姿、今も目に浮かびます。この映画はスペインで撮影が行われ、伊丹十三は渡欧し撮影に参加。

 この渡欧中の生活ぶりをエッセイにまとめ出版されたのが「ヨーロッパ退屈日記」、この本にはいろいろ影響を受けました。伊丹十三はその後、「女たちよ」 「再び女たちよ」という本を出し、それらも含め一時伊丹十三を格好いい大人だと眺めていました。

 彼は新しいタイプのインテリでした。伊丹万作の息子というブランドはあったけれど学歴からすると高卒。生きるたつきは図案家さん、それで山口瞳と知り合いになって以後交友が続くのだけれど、なぜか俳優になって、「北京の55日」に出演。

 この後ピーター・オツールの「ロード・ジム」にも出ています。それで上記在欧のエッセイを出版、この本を読んでいささか感じ入ってしまうんですが、彼は知的な人であると同時に行動する人でもあるんですね。書斎に閉じこもる知性ではなかった。

 実践家、そう実感したのはあの頃1970年代半ば、世は暴走族の爆走、騒音に悩まされていた頃です。彼はオール読物か何かで暴走族の跋扈に対し、「彼らは自己顕示欲の固まり。精神が成長しきれない子供」とシニック。

 強く否定はしなかったけれど横目で見て切り捨てていた。ま、夜中に走りまくる騒音を聞けば誰でも普通そう思います。一部の所為でオートバイ乗りは肩身が狭かった。その後彼はどういう経緯なのか「モノンクル」という月刊誌の編集長になります。

 責任編集という肩書き、岸田秀という心理学者との2人3脚。この創刊号でなぜか片山敬済という当時ホンダのマシンで世界グランプリを転戦していたライダーをゲストに呼び巻頭の対談を行っています。片山はゼッケン4でしたか、世界的ライダーでした。

 それからしばらく経って、あれはNHKの大河ドラマで伊丹十三が吉良上野介役をやった翌年、NHKの番組で鹿児島から北海道まで桜前線を追いかけるという番組に出ていました。ホンダのCBX400というオートバイに跨ってのシリーズもの。

 雑誌の対談の最後、片山は「それでいつオートバイに乗りますか」と訊ねていましたから、その後バイク免許を取得したのでしょう。それでこの番組が企画された。鈴鹿に立ち寄った時にはレーサーに跨って鈴鹿サーキットも走っています。

 番組ではその後彼は転倒して捻挫か何か、北海道にまでは到達出来ませんでしたが、この一連を見て、彼は実践の人だと、観念だけのインテリではないんだと改めて思ったりもしたものです。その後不可解な死を遂げましたが強く印象に残る知性でした。 
 
ヨーロッパ退屈日記  


 
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