スズキ 創立から100年 

 3月15日の中日新聞、4面に全面広告。「感謝。感謝。感謝の100年でした」1920年、大正10年の創立から100年を迎えたスズキ株式会社の広告でした。

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 紙面中央に創立者の鈴木道夫氏の肖像写真。まわりにこの百年にスズキが作ってきたエポック的な製品の写真を配し、創業時の織機、2輪、4輪、船外機。懐かしい写真。

 織機が創立時の生産品。戦後時代の要求に合わせ取り掛かったのが2輪車製造。1952年製のパワーフリー号の写真があります。自転車に2サイクルエンジンを取り付けペダルを漕いで走っていた。

 これは架装がしっかりしてパワーも当時としてはありそう。もっと簡便な、後輪リムに回転ローラーを押し当てて走る補助エンジンのものもありました。これはビスモーターとこの辺では云ってました。BSの事ですね。

 田舎の小さな商いの店主が仕入れた商品を後ろに積み込んで砂利道を走って行きました。あの当時はこれでも立派な輸送機器だった。その後ホンダがカブ号を出してモノ、人の動きも次のステージに向かっていきました。

 1955年製のスズライトも写真にあります。スズキは4輪を手掛けるのは早かったですね。なんとも不格好な、それでも需要はあって当時住んでた九州の片田舎でも見掛けたものです。

 1960年代に入るとホンダが世界グランプリレースに参戦しあれよあれよと見る間に勝ち進みます。それを新聞記事で読み田舎中学生は胸を躍らせます。

 そのうちホンダだけではなくスズキも世界GPに参戦、同じくヤマハも加わって日本製オートバイレーサーの進撃は他を寄せ付けず世界のトップに躍り出て行きました。

 嚆矢はホンダ、本田宗一郎の誘いに乗って加わったスズキ、ヤマハ、精密機械の4ストホンダに対しスズキ、ヤマハは2ストローク。あの頃は2ストと云えば煙ばかりの低パワーが相場だったけれど伍して上位に食い込んできた。

 よく頑張ったなぁと思うんですね。ヨーロッパにはMZとかクライドラーとか2ストの先行メーカーがあってそれらを研究したんでしょうけれど、そのうちそれらを凌いで高性能マシンを作り上げて行きます。

 やがて表彰台は日本の3社が奪い合う展開となり、日本のオートバイは名実とも世界一の高みに登りつきました。当時は50ccクラスというカテゴリーがありこれがまさに超精密工芸品の域でした。

 50ccで2気筒、パワーは稼げてもトルクがないからそれを補うためにミッションは8段、9段から12段とか14段迄あった。マシンも凄いけれどそれを繰るライダーも凄かった。パワーバンドは500回転位しかないから頻繁に変速しパワーを落とさない。

 スズキの50ccレーサーを繰るのはニュージーランド人のヒュー・アンダーソン。大きな人ですが体を折り畳み小さなマシンに被さってコーナーを駆け抜けていく。日本人では伊藤光男。

 ホンダだって4スト2気筒、DOHC4バルブという信じられないメカニズム。これを繰ったのはルイジ・タベリ、スイス人。小排気量車の徹底的に無駄な部分を削り軽量化し空力を極める。その結果としての造形はひたすら美しい。

 先駆者としてホンダを賞賛しまず第一人者と認めますが、スズキも美しいマシンを作ってたんですね。ホンダは赤タンクにシルバーのカウルにイエローのアクセント。スズキはシルバーに紺色を配したカウル。これがまた映えて綺麗だった。

 ヤマハも、白タンクに白のカウル、赤のラインが入ってフロントフェンダーも赤だった。オートバイはやもすると継子扱いを受けますが、実は戦後日本の躍進の先兵を務めたのはホンダ、ヤマハ、スズキの浜松ポンポンメーカーだった。



 少し脱線して、2012年に鈴鹿サーキットの開場50周年記念イベントが行われました。前年の大震災の事もあってかひっそりした催しでしたが、このサーキットが日本の自動車産業の隆盛にどれ程の寄与をしたのか、留意しておくべきだと思うんです。

 1962年、全長6キロの本格的サーキット、これを作った本田宗一郎の先見の明は凄かった。よく当時としては莫大な投資をしたものです。ここでまずオートバイのレースが始り、やがて4輪車もレースを始め、国産車メーカーこぞって自社の車を走らせます。

 当時は日野もコンテッサという洒落たデザインのセダンを作っていてこれを鈴鹿に持って来た。リアエンジンリアドライブ、その特性ゆえコーナーに来るとスピンのしまくり、日野自動車は貴重な教訓を得たでしょう。

 高速で走らせてみなければ判らない事もある。それは各社とも同じ、スバル360も走っていて、ヘアピンに来るとひっくり返っていた。足回りの特性ゆえ。キャロル360もとても遅かったけど走っていました。

 スズキはフロンテ、これは速かった。2ストエンジンの開発に他社より数歩先んじていたから連戦連勝。それを見てダイハツもリードバルブエンジンを開発し速くなっていった。

 トヨタだって、トヨタ7を開発走らせていたけれど、福沢幸雄や河合稔といった花形レーサーをクラッシュで失っています。本田宗一郎はサーキット、レースを走る実験室と云ったけれど、こうした犠牲も内包し日本の車社会は発展して行ったと云えます。



 新聞広告には1979年の軽4アルトと1981年の1100ccバイクのカタナも載せてあります。これもエポックメイキングなスズキの製品で話題をさらいました。

 スズライト、1955年製、昭和30年。わたし小学校1年生、車社会の進展と共に歩いてきて、今ソリオに乗ってますけど、スズキも含め、日本の車産業ここ迄来たんだなぁという感慨と共に、こんな時だけど、創立100年お祝い申し上げます。


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 今日は雨。

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この記事へのコメント

2020年03月27日 18:15
懐かしくなる記事ですね。スズキは日本の優良メーカーだと思います。写真に載ってる軽四アルトはまさに私が最初に乗った車です。それからホンダのシビックやプレリュードに乗りました。

私は2輪には縁がなかったですが、モータースポーツなどは結構見ましたね。本田宗一郎は伝記の本まで買って読んだこともあります。本当に夢のあった時代でした。今の若い人はあまり車とか興味がないようですね。あの頃に戻ってみたいです。
ひろびろ
2020年03月28日 06:34
 イオンのバベルさん

 スズキは不思議な会社ですね。鈴木脩会長は自分とこは中小企業だと云ってるし、そういう自覚があってトップダウンで決済するからこれ迄GMやVWと提携してもヤバいと思ったらすぐ撤退する。少し火傷はしたでしょうけれどVWの傲慢に振り回されなかった。
 中国にも色気出したけどアカンと思ったらすぐ手を引いた。今となってはこれは実に良かった。
 もう一つ不思議なのは時々目を見張る良いデザインの車やオートバイを出してくる。ダサいデザインの後で。アルトなんかそうですね。ガッカリした後でニッコリさせます。

 といって特にスズキに肩入れしてるわけじゃなくて、日本のメーカーはどこもみな素晴らしいと思ってます。モータリゼーションの波と共に育ってきたし、メーカーもお互い切磋琢磨して良い車作をして来たわけですから、どの車に乗っても高いレベルで完成してますね。

 今の若い人たち、車が当たり前すぎてワクワク感がないんでしょう。我々にはそれぞれ乗ってきた車の歴史があって、それはこだわりのある良い思い出です。

 コメント有り難うございます。